6.2/2023
「5.18/2023」のつづき
映画『すずめの戸締り』について。
すずめが草太と初めて出会ったあと、一度登校したにもかかわらず、彼女はわざわざ道を引き返して廃墟まで(草太よりも先に)辿り着く。その理由は明かされていないし、説明されていることもない。それは物語の作り手が彼女をそう動かしているとしか言いようがないし、作家や、我々観客の「冒険を求める心/非日常への逸脱」だ。
けれども、映画を最後まで視ると、彼女が日本各地の扉を閉める旅に出る理由=彼女の使命感/義務感が明かされる。
この映画はループ構造を呈している。
「常世」で過去の/幼少期の自己と対面したすずめは、自分自身を後押しする。
そうして幼少期のうちに動機づけられた彼女は、また成長し、過去の自己と対面する。
この循環/円環の少し手前で、すずめが経験したのが東日本大震災と、母親との離別だ。
父親の存在は描写されていないものの、彼女は東日本大震災で母親と離別している。きっと母の遺体も見つかっていないのかもしれない。
この被災体験は、彼女が「戸締り」の旅に出る義務感/使命感を与えるのに十分な理由になっているだろう。
一方で、東京において東の置き石を封印した後は、彼女の行動の動機は「被災体験=公的なもの/すべての人々のため/再び災害が発生するのを防ぐため」というものから「草太のため=自己のため」という私的なものへと転換する。これは愛/恋だ。
そして彼女は自らの故郷へと還り、草太を救い出すと共に、育ての親との邂逅を果たす。つまり、未来への準備を果たす。
意図的に伏せられた彼女の過去が明かされる後半部は、「物理的な前進」であった前半部とは一転して、精神的なもの、記憶や感情、そして知性へと訴えかける。
時間軸上における過去との邂逅が、記憶や精神といった人間の内的なものに訴える。
後半に開示された情報が、前半部/序盤を説明する。ループ構造。
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『すずめの戸締まり』についての記述はこれで終わりとします。